2009年05月14日

お一人様マーケットの拡大

 日本の消費市場では、お一人様用の商品、サービスの需要が
拡大しています。

 そのことを象徴するのが、2008年の全国主要11社の総売上
が、百貨店全体の売上を上回ったコンビニエンスストアの隆盛で
しょう。

 コンビニだけではなく、ファーストフード店も一人で来店する客が
増えているようです。

 このような、お一人様マーケットの拡大の最も大きな要因は未婚
率の上昇ということではないでしょうか。

 最近、男女の各年代で未婚率はいちじるしく上昇しています。

 そして、このような未婚者は収入を自分自身の消費に回せる割合
が高いので、モノやサービスを提供する側からみると有望な顧客と
いえます。

 2005年の調査によると、未婚率は男性の25〜29歳で71.4%、
30〜34歳で47.1%です。それに対して女性は59.0%と32.0%
ですので、おおざっぱにいって、29歳までに男性の3割が、34歳まで
に5割が結婚するの対し、女性は4割と7割が結婚するということです。

 生物学的な結婚適齢期は、たぶん34歳くらいでしょうから、それまで
に結婚しない人が、男性で5割、女性で3割いるということになるでしょう
か。

 そこで、そのような人のために、結婚しないことのメリットについて考え
てみたいと思います。

 結婚しなければ、自分の収入はほとんどすべて自分のために使うこと
ができますし、もちろん自分の時間も自分のために使えます。

 だから、自分自身の成長のための投資のお金も、時間も、そして自分
へのごほうびや楽しみのためにも、収入の範囲内なら自由に使うことが
できます。

 結婚すると、妻や夫や子どものために、ときにはいろいろなことを我慢
しなければならないこともありますが、独身なら何の気兼ねもありません。

 結婚というものは、仕事と違って、かならずしもしなければならないもの
ではありません。

 仕事がなければ通常は収入がありませんので、生計を立てていくことが
できません。だから、仕事は、ほとんどの人にとって、しなければならない
ものでしょう。

 しかしながら、結婚はする人もありますが、しない人もあります。

 現代の日本では前述のようにかなりの割合の人がしていますので、結婚
することが世の中の常識となっているかもしれませんが、世の中の常識が
変わって結婚しないことが当り前の社会になることも考えられます。

 結婚というものは、結婚したい相手があってはじめて結婚することになるの
が当り前で、結婚したいと強く思う特定の相手もいないのに、ただ結婚という
ことをしたいと思うのはおかしいのではないかということもいえるのではないで
しょうか。

 ・・・・・といったようなことで、どうしても結婚したいと熱烈に思うような相手が
出現しなければ、お一人様で生きるのもまたよいのではないでしょうか。

 人が結婚しているから、自分もしなければならないなどと考えるのはおろかな
ことだと思うのですが。

 では、また。  


Posted by 相良武雄 at 14:00Comments(0)

2009年05月11日

就活と婚活の似て非なる点

 就活と婚活はよく似ているといわれます。

 どちらも、就職あるいは結婚という、社会生活あるいは家庭生活と
いうものの、スタート地点に立つための予選を通過するための活動と
いえばよいでしょうか。

 ただし、この就職あるいは結婚は、ゴールではなくスタート地点です。

 これで終るのではなく、ここから始まるのです。

 そして、どちらもマッチングが重要であるということがよく似ているとこ
ろであるといえるでしょう。

 しかし、大いにちがう点があります。

 それは、就職はほとんどすべての人がしなくてはならないことですが、
一方、結婚はかならずしも、すべての人がしなくてはならないことでは
ないという点です。

 不本意な就職ということはありえます。そして、その場合、たとえその
就職が不本意であったとしても、目の前の仕事は誠実にやるべきである
でしょうし、誠実にやっていくうちにその仕事が自分の使命であると思える
ようにもなってくるかもしれません。

 しかし、不本意な結婚の場合はどうでしょうか。

 これも、最初は相手を愛することができなくても、一緒に生活していくうち
に、愛が芽生えてくるということがありますが、いつまでたってもそうはなら
ない場合は、はじめから不本意な結婚ならすべきではなかったといえるの
ではないでしょうか。

 結婚は、かならずしも、どうしてもしなければならないことではないからです。

 そのように考えると、婚活に対してのプレッシャーが減って、条件で検索す
るような出会いではなく、本当の人間同士の人格的な出会いが与えられる
ような気がします。

 では、また。
  


Posted by 相良武雄 at 11:17Comments(0)

2008年09月28日

結婚契約と契約結婚

 このブログのタイトルは「恋愛は政治、結婚は契約」ですが、
いいたいことは恋愛とはカケヒキや権謀術数といった政治的
スキルを要求するのに対し、結婚とは、日本国憲法でも規定
しているように、それは両性の合意、すなわち契約に基くもの
であるということです。

 つまり、憲法でいうところの「両性の合意」、すなわち「結婚
契約」ということになるでしょう。

 ところで、「契約結婚」というのがありますが、これは「契約」
により、一定の条件に従って結婚するということです。

 その条件とは、契約結婚をした事例がどれだけ、どのような
ものがあったか、わたしは知りませんが、考えられるものとして
は、例えば、離婚する場合慰謝料の請求はしませんとか、ある
一定期間を過ぎればかならず離婚するとか、などでしょうか。

 そもそも、契約結婚というものが、法的に有効なのかどうかも
よくわかりませんし、これはあまりにサバサバしすぎているよう
な、恋愛感情は抜きであるように感じます。
 
 しかし、結婚契約というのは、これも一見無味乾燥というように
感じられる方が多いかと思いますが、この「契約」の、内容つまり
内実は、「愛」です。

 つまり、お互いの、「愛」をこの「契約」により、契約、つまり契り
(ちぎり)することです。

 愛を契約すること、つまり契りを結ぶことが結婚であるということ
をいいたいということなのです。

 では、また。  


Posted by 相良武雄 at 16:28Comments(0)結婚

2007年11月30日

結婚して不幸なら別れる

 「結婚してやっていこうと決めたんだから頑張ろうよ」と言ったとき、株式会社ワイキューブ代表の安田佳生氏は「下を向いて生きよう。(サンマーク出版発行)」という本の47頁に、妻にこう言われたと書いています。

 「それは違うわ。私は一緒にいて幸せになろうと思ったから結婚したのよ。それが一緒にいて幸せじゃなくなったのだから、別れたほうがいいじゃない」

 これに対して安田氏は、「明らかに彼女のほうが大人で、彼女のほうが正しかった。彼女にとっての本質は「一緒にいて幸せであること」であり、「結婚していること」ではなかったのだ。」と書いています。

 これは、人間は幸せになるために生きているのだし、結婚も一緒にいて幸せになるためにするのだから、それが一緒にいて幸せじゃなくなったのなら別れたほうがいいということでしょう。

 でも、はたしてそうでしょうか。

 難しい問題ですね。ちょっとじっくり考えてみたいと思います。

 ということで、では、また。  


Posted by 相良武雄 at 11:24Comments(0)

2007年10月24日

日本国憲法では結婚は?

 日本国憲法第二十四条によれば、「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。」とされており、ここでいう両性の合意とは、契約的合意を意味しています。

 そして、民法の第七三九条には、「婚姻は、戸籍法の定めるところによりこれを届け出ることによって、その効力を生ずる」こととなる、すなわち民法が、両性のその契約的合意であるところの婚姻の効力を、これを届け出ることによって生じさせるとしています。

 このあたりのところが、契約的合意のないまま恋愛の延長線上でする「同棲」と、まだ同居はしていないが婚姻の契約的合意はしている「婚約」と、それを届け出ることにより民法がその効力を生じさせる契約としての「婚姻(結婚)」との分岐点ということになるということでしょうか。

 人は、このように民法という法によってその婚姻が確かなものとされるだけでは不足な思いを持つために、結婚式にはそれぞれの宗教の神、あるいは神仏を仲介者として求めるのではないでしょうか。

 また、特に日本人の場合は、自分は無宗教であるにもかかわらず、キリスト教式や神式や仏式の結婚式をあげる人が多いということになるのではないでしょうか。

 少しむつかしい感じになってしまいました。 
 
 では、また。  


Posted by 相良武雄 at 19:49Comments(0)

2007年10月09日

結婚式教会とは何?

 「結婚式教会の誕生」(春秋社 発行  五十嵐太郎 著)という本を読みました。

 郊外などに忽然とあらわれるゴージャスな大聖堂、信者なきカテドラル、すなわちウエディング・チャペルといわれる結婚式のためだけに建てられた結婚式教会は、1990年代から日本各地で増殖しています。

 「結婚式教会」の定義とは、地元の信者をもたず、礼拝や葬式などの宗教儀式がなく、結婚式のためだけにつくられた教会の姿をもつ独立した建築物であることです。これは、ヨーロッパなどの外国人の目から見ると、なんとも日本的で、異様に写るようです。

 結婚式教会は、信者のためのものではなく、結婚式のスタイルをこうしたいという要望をもつ女性のためのものであり、男性がこれに口を挟むことはまずなく、婚礼の主導権を握るのは女性で、ほとんどが女性まかせです。

 最近の女性の傾向として、結婚がしたいというより、結婚式がしたい、それも豪華なヨーロッパ風の教会で、という心理を反映しているのが、この結婚式教会といってもいいのではないでしょうか。

 この本は、建築文化論の本ですが、このような結婚式教会というものが、なぜ日本に誕生し、これほど存在しているのかを論じ、「そこには、これを良しとする日本人の建築観と、背景に横たわる文化への意識が表れているように思う。つまり、儀礼や宗教観の表出としても、結婚式教会を位置付けられる。現代的な視点から見ると、キッチュな結婚式教会は、女性の地位向上、西洋への憧れ、裕福な大衆社会などの条件がそろって誕生した。ここでは本物の教会よりも結婚式教会の方が、ヨーロッパ風の意匠を求めることで、記号としての本物らしさを追求するというイメージの倒錯も起きている。」と述べています。

 結婚の目的は、あこがれである豪華な結婚式をすること、と思えるような女性心理によって、このような結婚式教会なるものの存在がこの日本にこれほどあるということをどう考えればいいのでしょう。

 では、また。  


Posted by 相良武雄 at 20:03Comments(1)

2007年10月03日

愛しているなら証拠を見せて

 よくある話ですが、「愛しているのなら、○○分くらい遅れても待ってられるはず」とか、「愛しているのなら、こんなことぐらいしてくれてもいいんじゃない、これくらいのものを買ってくれてもいいんじゃない、あるいは、少しくらいお金を用立ててくれてもいいんじゃない」などと付き合っている相手からいわれたら、どうしますか。

 愛の証拠を、時間や、事や物や、お金で示せといわれたらどうします。

 「愛しているなら証拠を見せて」とか、「愛のしるしを示してほしい」というようなことをよく言いますが、こんなときは証拠やしるしを決して見せるべきではないと思います。

 愛には証拠はいりません。

 むかし、「炎の人 ゴッホ」という映画がありましたが、そのなかで主人公の画家ゴッホが、愛する女性の前で、自分の愛のあかしとして、自分の手をろうそくの炎の上にかざして、その苦痛に耐えてみせるという場面があったのをいま思い出しました。

 これは愛のあかしというより、狂気のあかしというほかありません。

 愛とは証拠やあかしなしに、交換条件なしの無条件で、相手を信じることではないでしょうか。

 愛のあかしを、時間や、事や、物や、お金や、あるいは苦痛などに求めようとする人は、そもそも相手を信じることより、物欲や、お金や、苦痛の裏返しの快楽や、派手なことやぜいたくなことをもともと求めているのではないでしょうか。

 若いくせにピカピカの外車に乗っているとか、かっこよく身分不相応な派手な身なりをしているとか、なぜかいやに気前がよくて金使いが荒いとか、とんでもない高価なものをくれるとか、そんな相手がいつか、「愛しているのなら、証拠を見せてほしい」などといってきたらオソロシイデスヨ。

 気をつけよう。恋愛は政治です。冷静に相手を観察し、その出方を見極めて判断しましょう。

 では、また。  


Posted by 相良武雄 at 16:33Comments(0)

2007年10月03日

セックスアピール

 恋愛のスタート。そのスタートの要因のひとつは、相手に魅力があること、すなわち相手にセックスアピールを感じることではないでしょうか。

 こんな人と恋愛したい、と思うような、いい男、あるいはいい女がいて、お互いが関心をいだき、いいきっかけがあれば、恋愛はスムーズにスタートするでしょう。

 ところで、異性としての魅力、セックスアピールとは、いったい何なのでしょう。

 どうも私は、これは、生殖能力がそのみなもとなのではないかと思います。

 つまり、生殖能力があるぞ、ということがアピールされているのが、セックスアピールではないかということです。

 たとえば、女性であれば、胸が大きいとか、腰が豊かであるとか、そして男性であれば、背が高いとか、胸が厚いとか、そしてさらに女性も男性も、若さがあってスマートであることなどです。

 だから、腰の曲がった老人に対してセックスアピールを感じる人はいないということですね。

 姿、かたちに魅力を感じる、セックスアピールを感じる、あるいは見た目で好きになるということは、美人も三日もすればあきるといわれるように、恋愛や、ましてや結婚にとって、絶対的に重要な条件ではありえないでしょう。

 恋愛と、そのゴールとして結婚を考えるかどうかは別として、結婚も、その目的はベストパートナーを探し、そして共に歩むということと考えれば、相手のセックスアピールや魅力、かっこよさなどということは、それほど決定的な条件ではないのではないでしょうか。

 では、また。   


Posted by 相良武雄 at 13:31Comments(0)

2007年10月03日

恋愛と就職は似てる?

 恋愛と就職は、似てると思いませんか。

 どちらも、まず興味を持つことから始まり、出会いがある。

 次に、そこから先へ進むかどうかの意思決定があって、その先に選考というか選別がある。

 そして、そこでも意思決定が要求され、最終的に「内定」がでる。

 この内定の段階が、恋愛関係というふうに思えませんか。

 そして、めでたく入社というのが、結婚という関係のスタートということでしょうか。

 恋愛の段階でも、内定辞退すなわち、片思いという破局があったり、入社まで相思相愛の関係を続けることにも努力や工夫や場合によっては駆け引きがいります。

 入社しても、最近では終身雇用の考え方が薄れてきていますので、ずっとそこに居るかどうか、あるいは居ようと思うかどうかわからなくなってきているようです。

 内定とその先の就職、そして恋愛とその先の結婚、これらが一生のものであると思えば、続くでしょうが、それほどの気持ちがなくて、とりあえずといった気持ちでしてしまうと、やはり長続きはしないでしょうね。

 ところで、最初のところに戻りますが、恋愛も内定もその選考・選別基準とはなんでしょうか?

 どうも私は、それは、最終的には、「ずっと一緒にいて、あるいは一緒に働いて、楽しいと思えるかどうか」、つまりパートナーとしてあるべき人であるかどうかということになるのではないかと思います。

 例えば点数とか、身長とか年収とか、数字だけで選考するのは、簡単ですが、間違いのもとではないでしょうか。

 では、また。   


Posted by 相良武雄 at 13:30Comments(0)

2007年10月03日

優しい人に出会うには・・・

 優しい人に出会うには、優しい人になりなさい、という言葉がありましたね。

 実は私は、男性ですが、男とは足柄山の金太郎のようでなくてはならないと考えていた頃がありました。

 金太郎は、金太郎の歌ではこのようにいわれています。すなわち、「気は優しくて、力持ち」です。

 つまり、これもどっかで聞いたセリフにあったように、「強くなくては、生きていけない。しかし、優しくなくては、生きている値打ちがない」ということでしょうか。

 女性にとって、ベストパートナーとは、優しく、そして強い人であるべきではないかと私も思っていた頃がありましたが、今では当然、一方だけがそうあるべきだとは思いません。お互い強くなくては生きていけません。

 ただ、お互い、相手は優しい人がいいですね。

 そして、優しい人に出会うには、まず自分が優しい人にならなければならないということでしょうか。


 わたしを幸せにしてくれる「運命の人」を、ただひたすら救世主を待ち望むように、待っているだけでは、いつまで待ってもその人は現れないのではないでしょうか。

 まずは、出会いの種をまかなければならないし、出会ってできた人間関係から、恋愛という人間関係を作っていく過程には、お互いエゴを持った生身の人間がお互い同士ぶつかり合うということが何度もあって、またその人間関係の深さの各段階や、肉体的接触のそれぞれのレベルにおいて、意思決定や決断を要求され、最終的に、相思相愛となって結婚というゴールにいたるということは、まさに奇跡というべきかと思われます。

 まさに、恋愛は政治であり、また奇跡ともいうべきしょう。

 では、また。   


Posted by 相良武雄 at 13:29Comments(0)